Lo-Dのぼちぼちブログ

ヤフーブログから本格移転。昔の病気のせいで記憶がごっそり抜け落ちたのを自覚。記憶の整理と忘備録を兼ねて。

阪神大震災から25年 当時の記憶(1)

 あの時何故か5時45分に目覚めた。

ラジオのスイッチを入れると、何時もの「榎さんのお早うさん」が流れてくる。
と、次の瞬間ズン!と真下からの突き上げが!

咄嗟に横を向くと嫁さんも目を覚まし、「地震?」と聞いてくる。
そのあとは話なんてできないほど激しく水平方向に揺れる。この時は南北方向と感じた。紫檀製の重いタンスも揺れる揺れる。
タンス上部の耐震用ツッパリ棒なんて全く効いておらずきれいに吹っ飛ぶ。タンスの下に挟み込んでいた楔が一番効いたようだ。この時揺れが東西方向だったら倒れていたのではないかと思う。
 ズン!の垂直からからユサユサの水平までの時間が短ったので震源は近いと判断するが・・・
元々耐震対策を色々していたおかげで、買ったばかりのPCが倒れた以外被害らしい被害は無し。
台所の食器棚も対策の効果で扉も開かず、倒れ無かったので食器も割れずホッとしたが、ご近所さんは何か割れる音がしていたので、結構な被害だったと思う。
 何故耐震対策をしていたかって?昔1970年代終わりごろ、ラジオの番組サタデーバチョンで浜村淳さんが近畿では平安時代以降大きな地震がありません。丹波地震が唯一といっていいぐらいです。よっていつ地震が来るかわかりませんから対策をっと言っていたのを覚えていて、賃貸で借りる物件も成るべく耐震性が良さそうな奴にするとか、本棚とか金具で固定しても良い物件に限定していたのだった。

 大阪東部なので停電にもならず、ラジオからは暢気に歌謡曲が掛かっていた所から震源は関東ではないと判断。テレビをつけたいが、余震もあり寝室から動けない。でそのうちラジオから関西で地震があったようですとのアナウンス。関東ネットの番組ではらちが明かないと選局しなおす。確かMBSやABCはローカル番組だったかなと思い出しながらOBCから近いMBSに選局して情報収集に努める。
仕舞っていたアマ無線のリグを引っ張り出して緊急周波数をワッチすると、多数の助けを求める声が・・・。これは大阪ではないが近くで大きな地震とは分かったが、それがどこかとは、ましては神戸とは全く気付いていなかった。なんせ当時の私は六甲山系は地震とは無縁と思っていたので。余震もあり自宅から一歩も出られないでもあり素人の自分では役に立たないと、無線の電源を切って先ずはラジオに集中した。
 そして朝6時45分のMBS大阪ローカル番組川村龍一さんが、局に向かう途中で地震に合い、自らの携帯から音声を中継で流したのが現場からの第一報だったと聞いている。タクシーで放送局への出勤途上に地震に遭遇し、崩壊した阪神高速道路の状態を泣きながら中継されていました。